届けられた物
(壱)
“もはや戦後ではない”
そう言われて久しい。
2.
「史郎、お前大学に行かないって?」
友人の言葉に、史郎は苦笑した。
「行けないんだよ。いくら今の日本が戦後復興も果たし、それなりに豊かになりつつあると言っても――お金のない家にはお金がないものなんだ」
「金かぁ」
史郎の友人、貴一はため息をつい
た。
「もったいないな…。お前はそんなにも頭がいいのに」
「私のことは気にするな。貴一は大学に行くんだろう? 大学で私の分も学んできてくれよ」
「……何か釈然としないな。俺はお前みたいに勉強したくて行くわけじゃないのに。ただ父様が行けというから行くだけなのに」
貴一の家は代々続く旧家だ。それこそ由緒もあり、ついでに金もある。一方史郎の家は平凡な家庭。いや、平凡と言うにも程遠いかもしれない。史郎が生まれ
る
前に父親が戦争で死んだ所為で、史郎は母親と2人きりの生活。女手だけではたいそうな金が稼げるはずもなかった。
けれど普通教育だけでなく、高等教育まで自分を受けさせてくれた母親に史郎はいたく感謝し、そしてそれ以上を望む気持ちなどなかった。
「貴一、そろそろ帰るんだ。いつまでもここで私と立ち話をしていては、お前のご両親が黙ってはいないだろう?」
今は学校の帰り道。いつも一緒に帰る程仲のいい2人だが、貴一の両親は史郎のことをあまりよく思ってはいない。
「知らないよ、俺の友だちも認めてくれない親なんて」
「仕方のないことだ。お前が私を友だちだと思ってくれてるのなら、それで十分だよ」
「……こんなに優しい男なのになぁ。それを知ってもらえないのが残念だ」
「ありがとう」
史郎は笑って手を振った。手を振られるとこれ以上ここにとどまることなどできず、貴一も手を振って自分の家へと歩き出す。
貴一の姿が見えなくなると、史郎も自宅へと歩を進めた。5分も歩けばたどり着くその道を、周りを飛び交う蛍を眺めながら歩いていく。
もうこんなに遅くなってしまったのか。
史郎は家で独り待つ母親を思い、少しだけ速く足を動かし始めた。
日が落ちかかり赤く染まった空が見える。蝉の声は相変わらず響いていて他の音は聞こえやしない。人家が適当な間隔ずつあるこの砂利の一本道を、史郎は無
言で歩き続けていた。
人が賑わう町から離れたこの場所で史郎は育ち、そしてここから町まで学校に通う日々。この辺一体は貴一の家の土地で、同じ年頃の子どもと言えばあとは貴
一
しかいない。ちなみに貴一は本当は史郎よりも1つ上の学年だが、小学生の頃病気を患って休学したため、同じ学年として学校に通えている。
何て寂しい場所なんだ。――そう思っていた時期もあった。
本当は大学に行きたい。――それも正直な気持ち。
けれどこんな寂しい場所だからこそ母親を置いては行けず、そしてお金というどうしようもない問題も解決のしようがなかった。体を壊して家で細々と内職を
している母親を放って夜遅くまで働くわけにもいかない。夜は母親についていないと、いつ倒れるかも分からないので心配だった。
史郎は家に到着した。玄関を開けて中に入ると、夕食の匂いがした。
「ただ今」
そう言って台所に顔を出す。案の定母親がそこにいて、柔らかい笑顔で出迎えた。
「お帰りなさい、史郎さん」
「美味しそうな匂いだね。煮物?」
「そうよ。もうすぐできますからね」
史郎は自分の部屋へと向かった。ふすまを開けて畳の上に座る。肩にかけていた鞄を部屋の隅に立てかけ、そこでようやく机の上に箱が置いてあることに気づ
いた。
「何……?」
史郎はそれを手に取ってまずは包装紙を破り取った。そして中を開けるとそこにはまた箱。しかしその箱が入っていた箱と違い、装飾やら模様やらがたくさん
付いたやけに豪華な箱だった。大きさはちょうど手のひらと同じくらい。鍵穴もある。鍵が閉まっているらしく、開けようとしても開かない。振ってみると何や
ら音がしたので、何かが入っているんだろうが。
「高そうな箱だな」
どうしてこんな所に置いてあるんだろう? 母さんが置いたのだろうか。
史郎はその箱を持って居間に入った。母親がすでに夕食の準備を終えていて円いちゃぶ台の前に座って待っている。
「ねえ、これを置いたの母さん?」
史郎はテーブルの前に座って母親に箱を見せた。
「綺麗な箱ね。どうしたんです?」
どうやら母親ではないようだ。
「机の上にあったんだ。母さんが置いたわけではないんだね?」
「違いますよ。でもお昼に史郎さんのお部屋を掃除したときは、そんなものはありませんでしたよ」
「そう……じゃあ何であんなところに? 今日誰もうちに来なかった?」
「ええ、おそらく。今日はとても暑かったので縁側で仕事をしていましたけど。誰も来ませんでしたよ。……その箱、どこから来たんでしょうね」
“仕事”という言葉を聞き、史郎は母親が今日も一日仕事をしていたことを思い出した。
「やっぱり気にしないで。さぁ食べようか。そして早く休もう」
ご飯を食べ終わると史郎は茶碗などを自分で洗って部屋に戻った。そしてもう一度箱を眺める。鍵が閉まっていては開けられない。しかもどこから、誰が、何
のためにここに置いたのか分からない。
「いたずらかな」
でもそう思うにはあまりにも箱は高価な物だった。何より中に何が入っているのか気になるところ。高価な物、と言ったら貴一が何か分かるかもしれない。
明日貴一に聞こう。そう思って史郎は箱を机の上に置いた。
「お帰りなさい、貴一さん」
貴一が家に帰ると、玄関で母親が出迎えた。貴一は無言で礼をして靴を脱ぐ。そのとき玄関に父親の靴を発見し、帰ってきているのかとため息をついた。
「貴一」
ため息をついたとたん父親の声が聞こえ、貴一は不満そうな顔でその方を向く。
「何ですか? 父様。貴方が出迎えて下さるなんて」
「話がある。“友人は選べ”と再三言ってきたことだが」
「今日は誰からの密告ですか。お隣の古河さんですか。それともお向かいの猪田さんですか。そう言えば猪田さんちの江野さんが俺と史郎の横を通った覚えが
ありますね。ご苦労様です、父様。毎日毎日俺が史郎と話したりしてないか確認して、あまつさえ密告してきた者には報償金ですか。この家にある財産もすぐに
底をつくことでしょう。第一、俺は友人をちゃんと選んでますよ。史郎という友人をね」
貴一はそうまくしたてるように言うと、すっと父親の横を通り抜けた。
「貴一!」
父親の自分を呼ぶ声も無視する。本当なら足音を思い切り立てて歩きたいところだが、育ちのいい貴一は行儀の悪いことなどしない。
しかし確実にイライラしていた。何かと言えば“あの家の子とはつき合うな”。“どうせのたれ死ぬのが関の山だろう”。“悪い噂が立っては事だ”。“お前
はこの家の跡取りなのだから”。
「腹の立つ! あの身分思考はどうにかならないのかよ」
貴一はぶっきらぼうにつぶやいた。言葉の上品さから見れば史郎の方が余程育ちが良く感じる。実際話し方を初めとして歩き方、笑い方、勉強する姿勢などの
あらゆる行動は、明らかに史郎の方が品がいい。
貴一は自室のふすまを開けた。鞄を机に置こうとして机の上のある物に気づく。
「何……?」
貴一はそれをつかみ取った。金色の鍵。形からして西洋の物であることは間違いなかった。
「何の鍵?」
西洋の物ならいくつか持っているが、鍵が必要な物なんて持っていない。ふと机の下に一枚の紙切れが落ちているのを発見した。貴一はそれも手に取ってみ
る。
“これは、パンドラの箱の鍵です”
紙にはそう書かれてあった。
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