歪んだ思い

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  (壱弐)  

 ――――憎い。
 私が、貴志が、戦争が。
 そして何も知らない、貴一が。

 咲子。
 どうすれば私は、君に詫びることができるだろう。



 「正史……何も知らない、赤子だったあの子を憎むなんて」
 貴志は言った。
 正気じゃない。冷静になれば分かることだ。子どもを恨んで何になる。しかも先程からの正史からの言い分は、貴一を最も恨んでいるように聞こえる。
 正史は、正気じゃない。
 「すまない、正史――」

 お前をそんな風に追いつめたのは、私なんだろう?

 貴志がこの家に来たのはそもそも、正史に会うためではなかった。正史が生きているなんて、実際にこの家に来てその姿を見て、初めて知ったことなのだ。
 ただ貴一に外国人が訪ねてきた。おそらく南方のアジア系――自分が正史を送った戦場がまさに東南アジアの地で、もしかするとその外国人というのが正史に 縁のある者なのではと、気がつけば貴志はその外国人を探していた。
 探して話をしたかった。ただそれだけ。そして正史がどうして死んだのかを、もしも知っているのなら聞きたかった。
 聞いたら咲子と一緒にその地へ行って、きちんと供養してあげようと思っていた。
 それが謝罪になるとは思わないけれど、そんなことでもしなければ自分の心が救われない。
 幼い頃から仲良く遊んだ従兄を戦場に送って、その後感じたのは後悔。
 自分はとんでもないことをした。正史が死んでしまう。咲子を苦しめてしまう。
 それでも後には引けない思い――ここで正史と咲子を許しても、正史を呼び戻すことなどできない。
 自分は取り返しのつかないことをした。裏切ったのは2人のはずなのに、とても息苦しい。
 もう咲子にはできる限り関わらない方が気持ちが楽になるかもしれない。そう思っていたのに、貴一は咲子と正史の子である史郎と親友になった。
 思わず昔の自分と正史を思い返した。
 見ているのが辛かった。
 「確かにあの子は、自分の本当の母親が咲子であるということは知らない。家の使用人たちにもくれぐれも真実を漏らさぬようきつく言い含めていた。そうだ な、咲子のことだからきっと、離れた地にいても、日々あの子の幸せを願ってくれていたことだろう」
 貴志が言うと正史は笑う。
 「分かっているじゃないか。でもきっと今頃貴一は――」

 「お茶をお持ちしました」

 咲子がお盆にお茶を乗せて帰ってきた。
 正史は言葉を切って穏やかな笑みを浮かべる。
 「ありがとう、咲子さん」
 ふと正史はお盆の上に、お茶だけではなく箱が乗っていることに気づいた。
 「それは――」
 咲子はそれを手に取って正史に渡す。
 「もしかしてこれは、貴方が戦場に行く前に私に預けていったものですか?」
 「ああ、そうだよ。自分が戻らなければ貴一に渡して欲しい、と」
 「――すみません。どうしても貴方が戻らないとは信じられなくて、ずっとしまったままにしていました」
 「分かっている。君なら、私を信じて待ってくれていると思ったんだ。だから…」
 だから、藤野にこの家から箱を探し出して貴一に渡すようお願いした。
 それが何故、ここに。
 咲子は言う。
 「でもいつの間にか誰かが、これを史郎に届けたようなんです」
 「史郎――私たちの、息子だね。どうしてだろう。藤野が間違ったのかな」
 「藤野さん? 貴方のお友だちの」
 「そう、彼に箱を貴一に届けるよう依頼したんだ。でもまだ届いていないんだね。分かった、私が今から届けるよ」
 「その箱には一体何が入っているんですか?」
 「大したものじゃない。さて、あの子はどこにいるんだろう――」
 「正史さん……」
 訴えるように自分を見つめる咲子に、正史はまた笑顔を向けた。
 「何?」
 「それよりもまず、史郎に会ってはもらえませんか。今は出かけていていないけれど、貴方が生きて戻ってきたこと、きっとあの子も喜びます」
 「勿論会うよ。今私には抱きしめてあげる腕もないけれど。そして、あの子も抱きしめられる程の歳ではないだろうけど。愛しくてたまらない、私と君の子 だ」
 ほっと安堵する咲子の肩に正史は左手を置く。
 そんな彼に貴志は言った。
 「史郎はもしかすると、貴一と一緒にいるかもしれない」
 正史は目を見開き、貴志を見る。
 「何故?」
 「あの2人は、親友なんだ」
 「………親友?」
 「嘘ではないよ。私はそれを見ているのが辛くて何度も貴一に史郎と付き合うなと言ったけれど、貴一も史郎も、私たちに似て強情だから」
 「親友――だって?」

 そんなの、許さない。

 正史は歩き始めた。
 歩き方がぎこちない――片足が義足なのは、貴志と咲子にも容易に分かった。
 咲子は引き止めようとしたが貴志に制止される。そのうちに正史は庭から出て行った。
 貴志は言う。
 「大丈夫。正史は今帰ってきたばかりで心が落ち着いていないだけなんだ。君は今は彼の傍にいない方がいい」
 「? でも……」
 「すぐに戻ってくる。もう彼は、君の傍から離れることはない。もう一度彼が戻ってきたら、その時はこの家で、親子3人で、暮らすといい。せめてもの謝罪 に精一杯の援助をさせてくれ」
 「謝罪、なんて」
 「謝罪をさせて欲しい。私も、咲子も、正史も、長いこと苦しんだ。正史が生きて戻ってきた今だから、もう全てを終わらせよう」
 「――貴志さん…」
 「顔色が悪い。今日も体調が優れないようだね。ここで待っていて欲しい。きっと正史と史郎は、2人で、ここに戻ってくるよ」



 「まさかお前の父親が生きていたなんてなぁ」
 歩きながら、貴一が呑気に呟いた。史郎も頷く。
 「ありがとうございます、ハイセさん。父を助けてくれて」
 「気ニスルコトハナイ。正史ハトテモ頭ガ良カッタカラ、村ノコトモイッパイ助ケテモラッタ」
 貴一はポケットから鍵を取り出す。
 「結局箱には何が入ってるんだ? 史郎、箱は家にあるの?」
 「ああ、家に置いてきた。もう気にしなくてもいいじゃないか。父さんに会えばいいと、藤野さんという方も仰っていただろう。開けないで欲しい、とも」
 「けど、さ」
 「私だって本当は気になって仕方がない。でもやっぱり恐いんだ。なあ貴一、学校で話したことを覚えているか」

 『もしも“災厄の箱”だと言うのなら、中身は何だろう? 俺たち2人に関係することなのかな。――俺たちの今までの関係が壊れるような、そんな物なのか な…』
 『だったらどうする?』
 『だったら開けるに決まってるだろ』

 「覚えてるよ。たとえ俺たちの今までの関係が壊れるような物だとしても、俺は開ける」
 「――何故?」
 貴一は自信を込めた満面の笑みで答える。
 「だってどんな物だとしても、壊れるわけがないじゃないか」
 史郎にも思わず笑みがこぼれた。
 「はは。そうだな、貴一の言う通りだ」
 「だろ? 俺たち親友だからな。ってことでもうすぐ史郎の家に着くことだし、着いたら開けよう」
 「ああ、分かった。そこまで開けたいのなら」

 さあ、開けようパンドラの箱。
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