歪んだ思い

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  (壱肆)  

 嫌になるくらいそっくりだね。
 一目で分かったよ、君が貴志の息子だと。
 そして彼が、私の息子だと。

 さあ、史郎を私に返してごらん。

 代わりに『これ』をあげるから。



 正史が自分を呼ぶ声に、史郎は泣きたくなった。
 それでも泣くことがないのは咲子譲りか。
 正史はもう一度言う。
 「おいで、史郎。私はここまで歩いてきてとても疲れたんだ。どうか傍に来て欲しい。私に、君を抱きしめさせてくれ」
 貴一が史郎の肩を叩いた。
 「行けよ、史郎。親父さん待ってるぞ」
 貴一の言葉に何だか心がほっとして、緊張も解れる。
 「ありがとう」
 そして正史のもとへ歩き始めた。

 貴一とハイセはただ黙って史郎を見送る。
 父と子の再会を邪魔したくなかったからだ。
 そして思う。
 正史と史郎は、史郎が生まれた時からずっと、会うことが叶わなかった。
 だけど2人が親子だということは間違いない。そっくりな容姿が、それを否定することができない。
 あの微笑んだ時の柔らかい笑顔も、よく、似ている。

 だけど、何だろう。

 貴一が感じる少しの違和感。
 彼が、史郎から時々視線を外して自分に向けてくる目。
 ぞっとする。史郎はそんな目、したことがない。
 「でも、良かった……」
 貴一はほんの小さな声でつぶやいた。

 彼が帰ってきてくれて、良かった。
 史郎と咲子さん――大好きな2人が、幸せな思いになれる。
 だから、良かった。


 史郎は正史のすぐ目の前まで来た。
 正史は史郎の頬に手を伸ばす。
 「ああ――やっぱり、片腕じゃ抱きしめられそうにないな…」
 「父さん……」
 「それに、もう立派な大人だしね。成長していく姿を見られなかったのは本当に残念だ」
 「父さん……!」
 「寂しい思いをさせたろう。咲子にも、史郎にも」
 ついに我慢ができなくなって、史郎の目から涙が零れる。
 そして自分を抱きしめられない正史に代わって、史郎が正史を抱きしめた。
 「ずっと、呼んでいました…っ」
 届かない声で、何度も何度も。

 『どうか帰ってきて欲しい』

 母が貴方を待っている。
 父さん――父さん。

 『ここに貴方が、いればいいのに』

 死んだと私に教えながらも、生きていると信じている母。
 そんな彼女のために、どうか。

 「優しい子だね」
 正史は抱きしめられたまま、愛しい我が子の頭を撫でた。
 「史郎が、咲子の傍にいてくれて良かった」
 史郎は正史を解放した。
 そして自然と笑顔を浮かべる。
 「これからは父さんも、一緒に」
 「――ああ」
 正史も史郎に笑顔を向けた。しかしふっと、その顔が無表情に変わる。
 その時にはすでに、正史の視線は史郎ではなく貴一へと移っていた。

 「貴一」

 びくっと、貴一の肩が揺れる。
 自分の名前が友人の父親から――しかも今まで日本にいなかった者の口から出てくるとは思っていなかったからだ。
 史郎も正史の傍で、正史が貴一を探していたことを思い出した。
 史郎も貴一を見る。何だか、変な気分。
 「貴一、鍵を持っているだろう?」
 正史が言った。
 貴一はポケットを探って鍵を取り出し、頷く。
 「そして箱は私が持っている」
 正史も箱を取り出した。

 『パンドラの箱』

 そんなものは実在しない。
 そう呼んだのは正史だ。
 災厄の箱なんて、そんなものはない。

 「この箱を君にあげる」

 正史はそう言って箱を貴一へと投げた。
 貴一はそれを上手く受け取って、史郎に目配せする。
 史郎は正史に訊いた。
 「あれには何が入っているんですか? “パンドラの箱”だからやっぱり、何か良くないものですか?」
 正史はただ一言、答える。
 「開けてみれば分かるだろう」

 自分の口からは上手く伝えられる自信がないんだ。
 どうしても、咲子贔屓になってしまうから。
 どうしても、罵る言葉を言ってしまいそうだから。
 だからその箱の中身に、託した。

 貴一は鍵を箱の鍵穴の中に差し込んだ。
 そして慎重に右へと回す。
 カチッという小さな音と共に、鍵が開く。






 ――その時だった。






 ハイセの耳が、ピクッと動く。
 「何ダカ、ウルサイ音ガ聞コエル」
 「何の、音――」
 そう呟く史郎の耳にも音が届いてきた。
 「これは……!!」

 暴走馬車…!!?

 曲がり角から突然馬車が現れた。
 その馬車は史郎と正史の方へ突き進んでいく。
 悲鳴なんて、出す暇もない。
 ただ馬車がものすごい勢いで向かってきている目の前の事実に足が竦む。





 ――避けきれない。

 轢かれる…!!





 「いやあぁああぁああ!!!」

 響いたのはこっそりと後を追ってきた、咲子の悲鳴。






 パンドラの箱。
 ――災いを呼ぶ箱。

 開けなきゃ良かったのに。

 開けなければ、こんなことにはならなかった?

 “パンドラの箱”なんて、さっさと捨ててしまえば良かったんだ。
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