箱の中にあるものは

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  (終)  

 あまりの現実感の無さに、認めるのが恐かった。



 7.
 「あっぶねーなぁ! あの車っ」

 ―――え?

 「もう少しで轢かれるとこだったじゃん!」

 何……?

 「おーいどうした? 大丈夫か?」

 「冴木!!?」
 俺は自分の顔を覗き込んできた冴木の両肩を掴んだ。
 「お前…車に轢かれたんじゃ…!」
 冴木の体が吹っ飛んで、救急車が来て、野次馬もいっぱい来て、警察も来て。
 俺の体も震えて、でも不思議と涙は出なくて。
 それくらい、現実感がなくて。
 だけどそれが恐くて。
 冴木は困惑した表情を浮かべる。
 「いや…俺轢かれそうにはなったけど、轢かれてはないよ?」
 「怪我は…!」
 「だから大丈夫だって。お前こそ大丈夫か? 急にぼーっとしちゃって。夢でも見てた?」

 夢……?

 冴木が車に轢かれたのも?
 あの“声”が聞こえたのも?

 俺は左胸を掴んだ。
 心臓の音が、うるさい。
 一体何なんだ。
 頭が混乱する。

 夢なんて、そんなもんじゃなかった。

 俺が見ていたのは長い長い、1つの物語。
 ねえこれは本当にただの、真夏の暑さが見せた悪夢だろうか。

 「―――っ」
 涙が零れた。
 暑い日差しを浴びながら、親友の肩を握ったまま、俺はぼろぼろと涙を流す。

 「先生…!!!」

 ――先生。
 須崎先生。
 俺が見ていたのは、貴方の物語だ。

 「私は親友の命日に、探し物をしていたんだ」

 はっとして振り返ると、先生が立っていた。
 「箱を、探しているんですか?」
 俺は訊いた。
 先生は穏やかに微笑む。
 「そうだよ。ああ――どこに埋めたかな。確かに親友が死んだこの場所に、埋めたはずなのに」
 俺は更に問う。
 「どうして今更、探すんですか?」
 「どうして? ――どうしてだろう。死ぬ前に、一度見ておきたかったからだろうか。私はあの日・・・、 死ぬはずだったのだけれど」
 先生は遠くを見つめる。
 過去を、思い出しているかのようだ。
 「馬車に轢かれるのかと思った。震えて体が動かなくて、自分は死ぬと思った。目を瞑り、ぎゅっと体を強張らせて…」

 でも次に目を開けた時、貴一が死んでいた。

 「親友が、私を庇って、死んでしまった」

 突然の事実。
 だけど不思議と現実感はない。
 それでもそれが現実。
 だからこそ、認めるのが恐かった。

 恐くて、恐くて。

 『パンドラの箱を開けるから、こんなことになったんだ…!!!』

 ――箱の所為にした。

 父は貴一の父、貴志に助けられていた。
 母が現れて貴一にすがりついて泣く。

 ああ、貴一が死んだ。

 自分の所為だ。
 自分の所為だ。

 違う、箱が悪いんだ――。

 「私は箱を憎み、中を見ることなく、ここに埋めた」

 時は流れ、跡継ぎのいない須崎家に養子として迎えられ、“里中史郎”から“須崎史郎”へと名を変えた。
 そして大学へ行き、教師となった。
 父は母と死ぬまで寄り添い、死ぬまで、謝り続けていた。

 『こんなつもりじゃ、なかった…』

 可哀想な人。
 貴方の所為ではないのに。
 知らされた真実は、貴一が母の子どもであること。
 親友である前に、私たちは兄弟だったのだ。
 私たちが生まれる前の、父や母たちの愛憎劇。
 ――戦場へ送られた父の、歪んだ思い。

 それももう、貴一には届かない。

 「一体どこに、あるんだろう――」
 今ではもう、この道はアスファルトで舗装されてしまっている。
 ふと俺はアスファルトがひび割れている場所を見つけた。
 あわてて近寄ってそこを触ってみると、下の土が見えた。
 俺は力一杯剥がれかけているアスファルトを引っ張り、土を掘る。
 中から出て来たのはてのひらサイズの箱。
 もうすっかりと汚れてしまい錆び付いているそれは、きっと数十年前は金色に輝いていたのだろう。
 俺はその箱を先生に差し出す。
 「ありがとう。鍵は自分で持っているんだよ」
 肌身離さず、まるで親友の形見のように。
 捨てることもできずに持っていた。
 先生は鍵を取り出し、箱の鍵穴に差した。
 錆びて動くかどうか心配だったけれど、無事に箱の鍵が開く。
 「…………」
 先生は開こうとして手を止めた。
 「大丈夫ですよ」
 俺がそう声をかけると、先生はいつものように微笑み、ゆっくりと箱を開ける。
 中には丸いものが入っていた。
 カラカラと音はしていたけれど、これだったのか。
 丸いと思いきや、違う。ただ単に少し固めの紙が丸められているだけだ。
 先生はそれを丁寧に引き延ばしていく。
 「これは……」
 俺と冴木もそれを覗き込んだ。
 くしゃくしゃでよく分からないけれど、どうやら写真みたいだ。
 女の人に抱えられた赤ん坊が気持ちよさそうに眠っていた。
 女の人も、なんて愛おしそうに赤ん坊を眺めているんだろう。
 先生も食い入るように写真を見つめる。
 「そうか、これが入っていたのか」

 あったのは母と異母兄あにの、絆。

 「――温かい…。私はこれの何を、恐れていたのだろう……」

 開けて良かった。
 最期に、これを見ることができて良かった。
 あの事故から、回りの言うことが嘘ばかりに聞こえて、現実のものとは思えなくて、どうしようもなかったけれど。
 今ようやくふわふわと漂う波を抜けて、着地できたような気がする。

 貴一。
 私とお前は、親友だったね。
 そして、本当に兄弟だったんだね。
 確かに切っても切れない絆が、存在したんだね。

 お前に会ったら何を言おう。
 「助けてくれてありがとう」と、そんな言葉をかけようか。
 私は今まで箱に責任を押しつけてきた所為で、一度もそれを口にしなかった。

 ――きっともうすぐ会えるから。

 先生は俺たちを見た。
 先生の涙を浮かべた瞳は、とても切ない。
 でも、幸せそうな笑顔だ。

 「ありがとう」





 彼は、そう言葉を遺して消えた。





 病院へ行くと、やはり先生は俺たちが到着する前に亡くなっていた。
 息子さんたちは俺たちが先生と会ったことは信じてくれなかったけれど、確かに彼はあそこに来て、パンドラの箱を見つけたんだ。
 先生のお父さんとお母さんは最期、平穏の中で逝ったらしい。ただ先生だけが、時間に癒やされることもなく、苛まれ続けてきた。
 だけどきっと先生も、最期は――。


 先生の幸せそうなあの笑顔を、俺たちは絶対に忘れられないと思う。


〜END〜
ありがとうございました!
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